創設者の想い

創設者の想い

創設者

創業者の森本定一は、大正2年、岡山県備前市日生町頭島で漁業の網元家に生まれ、瀬戸内の日生諸島にある雄大な自然の中にある半農・半漁の街で育った。 母と兄に背中を押され、警察官の道を目指し、昭和9年6月 大阪府警察の巡査として採用され、早くから上級幹部となり、東警察署、南警察署、天満警察署長、その間2度の戦争を経験された後、昭和30年の大阪府と大阪市警察との統合の際に初代大阪府警察学校長となり10年間にわたり「人間尊重」の教育方針にもとづき、430名以上の教え子を輩出した。
警察官時代から、警備員の権限や立居振舞などの多くの問題があった。
そこで、警備業界ひいては警備員の将来を見据えて、「志」さえあれば、警察を凌ぐ位のサービスを提供できるはずだという想いのもと、定年退職を迎える前に大阪府警を退職した。

「これからの日本は警察だけでは守れなくなる」 また「元気であれば、いつまでも希望をもって働けるような職場をつくりたい」という強い想いで昭和46年4月に日本パナユーズ株式会社を大阪府港区で設立した。創業当時の日本は、高度成長期でもあり、かつ国際的なイベントやTVドラマなどの影響もあり、警備業は注目される業種であった。 しかし、実際の警備員に対する扱いは冷遇されていた。 創業者の想いのもとに集まっていた有志により、警察で培った調和力と警備力で近鉄グループ配下にあった野球場の警備契約を受注する。

<創立時の5つの想い>

  1. 一日も早く仕事の真の意義を見つけ出す
  2. 人間尊重の心を込めて挨拶を徹底したい
  3. 決められたことは必ずこれを実行する
  4. しつかりした目的意思をもち、これの達成に日々の努力を積み重ねたい
  5. 生き生きとした創造力、生命力、やる気こと会社を支える根源

これら5つの思いが今日のパナイズムの原点となっている。
また、警察官時代に民間企業トップ経営者との会合で信頼関係を築いていた、当時の阪急百貨店の創業者や社長、そして近鉄百貨店の会長から、弊社における警備を体感し納得して頂いたことで、百貨店警備の依頼を受ける。加えて精力的な営業活動の結果、大型イベント会場や大手通信会社などの警備契を締結する。その後、時代の活躍を評価され現在でも創業以来の契約先は多い。 以後3代(1代目 森本 定一 2代目 森本 恭介 3代目 森本 敦)にわたり、シップヘルスケアホールディングスへグループ入りするまで、創業家である森本家が日本パナユーズを支え、現在の礎を築いた。

創業者:森本 定一

当社制服

機械警備開始当時の管制室

創立10周年記念式典

叙勲式でのスナップ